日本の宅配便の歴史②|宅配バブルから宅配氷河期へ。Amazon登場とペリカン便の時代

宅配便の歴史

前回は、日本の宅配便がどのように始まり、1980年代の「動物戦争」を経て発展していったのかを書きました。

今回は、少し時代を進めます。

舞台は1990年代後半から2000年代。

そして今回は、私自身が実際に宅配業界で働き始めるまでの話です。

私は2007年頃から宅配の仕事を始めました。

しかし、その前にも宅配業界との接点がありました。

大学生の頃には、ヤマト運輸のベースで荷物の仕分けをしていました。

そして、その頃にインターネット通販の世界に衝撃を受けます。

その後、ペリカン便に就職。

しかし、そこで待っていたのは、私が想像していた宅配の世界とは全く違うものでした。


「佐川に勤めれば3年で家が建つ」と言われた時代

ペリカン便で働き始めた頃、社員のおじさんから、昔の宅配業界の話を聞いたことがあります。

その人が言っていたのが、

「あの頃は、佐川に勤めれば3年で家が建つなんて言ってたんだよ」

という話でした。

もちろん、これは私が当時の社員さんから聞いた話です。

本当に全員が3年で家を建てられたという意味ではないでしょう。

ただ、それほど宅配ドライバーが稼げた時代があった、という昔話として今でも強く印象に残っています。

当時の話では、歩合が最高で1個240~250円くらいだったとも聞きました。

現在の宅配ドライバーの感覚からすると、かなり大きな金額です。

荷物を配れば配るほど収入になる。

荷物が大量にあれば、それだけ稼げる。

宅配便の取扱量が増えていた時代には、ドライバーにとっても大きな収入につながっていたのでしょう。

これが私が聞いた、

「宅配バブル」

の時代です。


しかし、私が業界に入った頃には状況が変わっていた

ところが、私がペリカン便で働き始めた頃には、状況が全く違っていました。

私の感覚では、まさに宅配氷河期でした。

歩合は、

1個100~140円程度。

昔の話として聞いた240~250円と比べると、大きな差があります。

そして何より困ったのが、

そもそも荷物がない。

ということでした。

午前中は60個くらい。

ところが午後になると、

5個くらいしかない。

そんな日もありました。

「荷物がないなら帰ればいいじゃないか」

と思うかもしれません。

ところが、そう簡単には帰れません。

20~21時指定の荷物があるからです。

そのため、午後にほとんど荷物がなくても、夜の時間指定が終わるまで帰れない。

これが本当に頭にきました。


「宅配屋と郵便屋は馬鹿でもできる」という酷い言葉

当時、宅配ドライバーや郵便配達員に対して、

「宅配屋と郵便屋は馬鹿でもできる」

というような、かなり酷い言葉がありました。

私はこの言葉を実際に聞いた記憶があります。

しかも、母親もこの言葉を知っていました。

つまり、単なる職場の中だけの冗談ではなく、当時は社会的にもそういう見方が存在していたのだと思います。

今振り返ると、これはかなり不思議な話です。

宅配便は、今や生活に欠かせないインフラです。

荷物を間違えずに届ける。

時間指定を守る。

不在なら再配達する。

破損させない。

雨の日も雪の日も走る。

大量の荷物を積み、ルートを考え、何十軒、何百軒と回る。

決して「誰でも簡単にできる仕事」ではありません。

実際に自分が宅配ドライバーになってみて、初めてその大変さが分かりました。


大学生の頃、ヤマトのベースで仕分けをしていた

実は私は、宅配ドライバーになる前から宅配の現場を経験していました。

大学生の頃、ヤマト運輸のベースで荷物の仕分けのアルバイトをしていました。

時期は2003~2005年頃だったと思います。

そこで経験した仕分け作業も、かなり過酷でした。

ベルトコンベアに荷物を流す「流し」に配属されると、

4時間ほど、ほとんど休憩なしで荷物を流し続ける。

そんな仕事でした。

次から次へと荷物が来る。

止めることができない。

体力的にもかなりきつい仕事です。

私は「流し」よりも、後ろ回りという仕事をすることが多かったです。

後ろ回りというのは、自転車やこたつなど、普通の小さな荷物とは違う大きな荷物・特殊な荷物を引き込みの後ろにつける仕事です。

今思えば、大学生の頃から私は宅配物流の裏側にいたんですね。


そして2000年代前半、Amazonを発見した

そんな大学時代。

実家に帰ってパソコンをいじっていたとき、Amazonのサイトを見つけました。

「Amazon?」

当時はそんな感じだったと思います。

そしてサイトを開いてみる。

すると、

欲しいものが何でもある。

これには本当に感動しました。

当時、私は洋楽にハマっていました。

特に1990年代のシアトル周辺のバンドなど、ちょっとマニアックなCDを探していたんです。

近所のCDショップに行っても、なかなか見つからない。

ところがAmazonにはある。

「こんなCDまで売ってるのか!」

という感覚でした。

当時はAmazonだけではなく、マルイやZOZOなどの通販も利用していました。

今では当たり前のネットショッピングですが、当時の私にとってはかなり衝撃的な体験でした。

Amazon.co.jpが日本でサービスを開始したのは2000年11月。当初は本・洋書を中心に販売していました。その後、CD・DVD、家電、ホーム&キッチンなど取扱商品を急速に広げ、2005年には日本初の物流拠点となる市川フルフィルメントセンターを開設しています。

私はこの頃、まさか後に自分がAmazonの荷物を配る側になるとは思っていませんでした。


Amazonが成長していく一方、宅配現場はまだ厳しかった

Amazonは2000年に日本でサービスを開始。

2006年には「お急ぎ便」、2007年にはAmazonプライム、2008年にはFBA、2009年には「当日お急ぎ便」が始まっています。

今から見ると、まさにネット通販が急速に成長していく時期です。

しかし、私がペリカン便で働き始めた頃の現場は、

「ネット通販がこれから大きくなる」

という未来が見えていたわけではありません。

少なくとも私には、そんなことを考える余裕はありませんでした。

なぜなら、

荷物がない。

そして、

給料も安い。

さらに、

時間指定があるから帰れない。

という状況だったからです。


私がペリカン便に入った頃は「荷物がないのに帰れない」

ペリカン便で働き始めた頃の私は、

午前中に約60個。

午後は5個程度。

それなのに20~21時指定の荷物がある。

そのため、夜まで拘束される。

という状況にかなり不満を持っていました。

人手も足りない。

給料も安い。

仕事は少ない。

なのに長時間拘束される。

そして7月と12月は休みがほとんどない。

みんなそうだから、自分もやらざるを得ない。

正直、

「気が狂うんじゃないか」

と思っていました。

当時は、AmazonやASKUL、ZOZOなど、後に大きく成長していく通販の荷物もペリカン便で配っていました。

しかし、その時の私はそんなことを考えている余裕がありません。

「こんなに荷物が少ないのに、なんで夜までいなきゃいけないんだ」

という気持ちのほうが強かったです。


それでも、ペリカン便の社員さんは本当に良い人たちだった

そんな環境の中でも、私が今でも覚えているのが、ペリカン便の社員さんたちです。

本当に誠実で、良い人たちでした。

特に印象に残っているのが、

お客様を大切にする姿勢。

そして、

「どうすればお客様に喜んでもらえるか」というサービス精神。

これは今でも尊敬しています。

当時は給料や拘束時間に不満があり、私は仕事に対してかなり腐っていました。

でも、社員さんたちが仕事に対して持っていた姿勢まで嫌いだったわけではありません。

むしろ、

「こういうところは見習わなければいけないな」

と思うこともありました。


「動物戦争」の次に来たもの

第一部では、1980年代の宅配便業界を「動物戦争」として紹介しました。

そして1990年代を経て、2000年代になると、宅配便を取り巻く環境がまた大きく変わっていきます。

それが、

インターネット通販の急成長です。

私が大学生の頃にAmazonを発見したときは、

「何でも買える!」

という便利さに感動しました。

しかし宅配業界から見ると、

「インターネットで注文された商品を、誰かが家まで運ばなければならない」

ということになります。

ネット通販が成長すればするほど、宅配便の仕事も増えていく。

実際、Amazonは2000年の日本進出後、2005年の物流拠点開設、2006年のお急ぎ便、2007年のAmazonプライムなど、物流・配送を含めたサービスを急速に拡大していきました。

ただ、当時の私はまだ、その先に待っている宅配業界の大きな変化を知りませんでした。


そしてペリカン便とゆうパックの統合へ

その後、ペリカン便を取り巻く環境も大きく変化していきます。

2009年には、日本通運と郵便事業株式会社が共同出資してJPエクスプレスを設立し、宅配便事業の統合が進められました。

そして2010年7月1日。

ペリカン便の事業は、ゆうパックへ承継されました。

日本郵便も当時、

「ゆうパック」はJPエクスプレス株式会社の「ペリカン便」を事業承継し、新たな「ゆうパック」としてスタートする

と発表しています。

私にとっては、ここが人生の大きな転換点でした。

ペリカン便の車を買い取り、

会社員から個人事業主へ。

宅配ドライバーとして、自分で仕事をする道に入っていきました。


ところが、ゆうパックになっても荷物は増えなかった

「これで状況が変わるかもしれない」

そんな期待もありました。

しかし、実際にはすぐに宅配の仕事が楽になるわけではありませんでした。

むしろ、しばらくは荷物が減っていく感覚がありました。

歩合も低いまま。

持ち込みの荷物が最安値で450円だった時代もありました。

今考えると、

「宅配便はこれからどうなっていくんだろう?」

という時代でした。

一方で、その裏側ではAmazonをはじめとするネット通販がどんどん成長していました。

つまり、

宅配便の未来を作る新しい需要は生まれていた。

でも、

現場のドライバーがその恩恵をすぐに受けられたわけではなかった。

これが、私が経験した2000年代後半の宅配業界でした。


「宅配氷河期」の中で、未来の巨大市場を配っていた

今振り返ると、面白いことがあります。

当時の私は、

「荷物が少ない」

「給料が安い」

「夜まで帰れない」

と不満ばかり言っていました。

ところが、その頃に配っていた荷物の中には、

Amazon

ASKUL

ZOZO

など、後に大きな存在になっていく通販の荷物がありました。

当時は、

「こんな会社がこれから日本の通販を変えていく」

なんて考えていません。

ただ荷物を持って、

「20~21時指定か……まだ帰れないのか」

と思っていただけです。

今になって振り返ると、

宅配業界が大きく変わる直前の時代を、自分は現場で過ごしていたんだな

と思います。


まとめ|私は「通販を買う側」から「荷物を届ける側」になった

私とAmazonの最初の出会いは、大学生の頃でした。

パソコンでAmazonのサイトを見つけ、

「欲しいものが何でもある!」

と感動した。

その頃、私はヤマトのベースで荷物を仕分けしていました。

その後、ペリカン便に就職。

そこでAmazonやASKUL、ZOZOなどの荷物を実際に配るようになりました。

しかし当時の私は、宅配業界の未来よりも、

「荷物がないのに夜まで帰れない」

という現実に苦しんでいました。

そしてペリカン便は、2010年にゆうパックへ事業承継されました。

私はそのタイミングでペリカン便の車を買い取り、個人事業主として宅配を続けることになります。

振り返ってみると、

2000年代は宅配業界にとって、大きな転換期だったのだと思います。

昔の「宅配バブル」の時代から、厳しい時代を経て、インターネット通販という新しい巨大市場が生まれていた。

しかし、その変化が現場のドライバーに本格的に押し寄せるのは、もう少し後のことでした。

そして私は、その変化を現場で体験することになります。

次回は、Amazonをはじめとするネット通販が急成長し、宅配ドライバーの仕事が一気に変わっていった時代について書きたいと思います。



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